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『 キリストに仕えることについて 』

The Book of Mark 8:34-37

マルコの福音書 8章34節~37節
8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
御言葉の解釈
8:35 「いのち」=自分のたましいのこと。
考えてみよう
イエス・キリストを罪からの救い主として信じることは、クリスチャンとなる第一歩です。そのことによって、神の家族の一員として認められ、豊かないのちにつながる道を歩むことが許されるのです。

しかし神は、私たちに次のステップとして、キリストの弟子になってほしいと願っておられます。弟子とは、ただの信奉者や支持者のことではありません。まことの弟子とは、師に付いて、その人の生き方を学び、最終的には自分がその生き方の精神を他人に教えることができるまでに、その道を極める人のことです。

もし、私たちが、本当にキリストについていきたいと願うのであれば、私たちは今日の聖書箇所にあるように、「自分を捨て、自分の十字架を背負った後で、イエスについていく」ことが求められます。この「自分を捨てる」とは、自分の地位や名誉を考えないということです。

イエスのこの教えは、自分の地位や名誉を人前で確立せよというこの世の考えに反します。ですが、もし私たちがキリストの弟子となり、イエスに従いたいと思うのであれば、自分の名誉よりも神の名誉が褒め称えられることを心がける考えを持っていなければなりません。自分のプライドを捨てて、主のためならどのようなことでもやり遂げると覚悟する意思は、キリストの弟子に必要な要素です。

また、弟子には「自分の十字架を背負う」ことが求められます。当時の「十字架」は、のろいのシンボルとして知られていました。この文脈で「自分の十字架を背負う」とは、イエスに従うことによって、この世から拒絶されることを覚悟して生活するということです。

パウロは、ガラテヤ地域にいたクリスチャンたちに、「私には、私たちの主イエスキリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです」(ガラテヤ6:14)と書き記し、キリストの弟子になる人は、この世での成功や賞賛に未練を持ってはならないと教えました。

もし、私たちが自分の地位や名誉を考えず、この世で認められるよりも、神に認められることが一番大切であると心から断言できるのであれば、私たちはキリストに従う準備ができているということになります。しかし、そのように考えられるようになるには、聖書を通して、私たちが神によって創造された目的、また、救いに預かることができた理由、そして、何のために今生かされているのかを理解することが必要になってきます。

それらを理解して、神に価値を見出す人は、何よりも神に従った心を持つことの大切さを学びます。そして、この世の賞賛を放棄して真にイエスに従う者は、永遠に実のある人生を与えられるのです。
  1. 注1) 聖書本文は新改訳聖書[(c)新日本聖書刊行会]を使用しています。
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